@article{oai:kobe-du.repo.nii.ac.jp:00000165, author = {YAMANOUCHI Makoto and 山之内 誠}, journal = {芸術工学2015}, month = {Nov}, note = {本研究は、弘法大師生誕の地として知られる讃岐国善通寺の西院伽藍を対象とし、17世紀における伽藍の整備・発展過程を明らかにすることを目的としている。寛永11年(1634)に描かれた『善通寺西院之図』(以下、『西院図』と略す)の詳細な分析を中心とした史料の検討を行った結果、以下のことが明らかになった。 1.『西院図』は弘法大師800年御忌に際し、大檀那たる生駒氏が、それまでの伽藍寄進の実績と今後の援助計画を明示して善通寺へ奉納する目的で製作したもので、為政者の立場から弘法大師への信仰と善通寺を庇護する姿勢を示す意図があった。 2.『西院図』における「新御影堂」は、朱書部分を除きほぼ完成していたと考えられるため、延宝年間(1673-81)に再建された御影堂とは別物であり、御影堂は17世紀の間に2度建て替えを受けた。 3.御影堂は17世紀の間に、方三間から方五間、方六間へと順次規模が拡大され、17世紀末までに礼堂の背後に奥殿を持つ複合仏堂へと発展した。 4.寛永の『西院図』の段階で、客殿と護摩堂の移築(=御影池前の参詣空間の拡張)が計画されたが、貞享年間(1684-88)までに先に護摩堂が移築され、遅れて客殿が元禄4年(1691)までに移築された。}, title = {17世紀の讃岐国善通寺における西院伽藍の変遷について}, year = {2015} }